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なぜ大量のテープを前にビデオカメラの寿命を心配しているのか

記録というものは厄介なものである。 いちど残してしまったら最後、失うことが恐ろしくなる。 家庭用ビデオの話である。想えば初めてビデオカメラを買ったのは遥か昔、今は社会人の長女が生まれる直前だった。SONYからパスポートサイズと称するハンディカムTR55が出て、僕はそれを渋谷のディスカウント電気店「一風堂」で買い求めた。定価が16万円くらいで、一風堂といえども値引きはわずかだったが、出産が控えている。懐具合の余裕もなかったが、迷っている余裕はもっとなかった。 とはいえ、この画期的にちいさく軽量のカメラは価格以上によく働いた。それまでのビデオカメラはVHSやベータのカセットを使うものが主流で、まるでブーツの入った靴箱のような巨大なカメラを担いでまわらねばならなかったが、普通のバッグに入るTR55は気軽で、特別なイベント以外のありふれた一日の様子も大いに残した。貴重な記録だと想う。 はじめはビデオカメラも、初めての赤ん坊も珍しく、しょっちゅう撮ってテープを消費したものだ。 初期の8ミリビデオは数年でマーケットから姿を消し、やがてminiDVというデジタル録画のカメラが主流になった。それでもしつこくTR55を使い続けていたが、次女の誕生に背中を押されてようやく新調した。そういえば日本のパスポートがそれまで冗談のように大きかったのを改めて今の大きさになったタイミングで、折しもSONYから新パスポートサイズというハンディカムDCR-PC100が登場していたのである。1999年のことだった。はて値段はいくらだったか?定価は23万5千円、とあるがそのころはもはやSONYの価格管理もゆるくなっていて20万を切っていたのではないか。どこで買ったかの記憶もない。当時家を建てていた時期で、僕の経済感覚も狂っていたにちがいない。 このカメラはさらに良く出来ていて、国語辞典くらいの大きさしかない。デザインもSONYの真骨頂というべきカッコ良さで、今でも古くない(と思う)。アスペクト比はアナログ時代を今に伝える4対6だったりするが、機能的に大きな不満はなく、見る人はみな呆れるが実は今に至るまで我が家では現役である。記録用のテープもまだストックがある。 しかし、問題は記録の保存方法だ。 気がついたら世の中から8ミリビデオはもちろんminiDV式のカメラや再生装置も消えてい

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